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歴史に学び志を持って生きる

萩博物館特別学芸員/至誠館大学特任教授
一坂太郎

 混迷する時代を生き抜くために、歴史から学ぶべきこととは何か。

学びの力に着目

 教育には人間や社会を変える力があります。歴史をひもとくと、学びの力によって世のなかを変えていった人物や集団の足跡をいくつも見つけることができます。明治維新の原動力となった幕末の長州藩もそうした好例の一つです。
 長州藩をおさめた毛利家は、かつては中国地方の大半を領有する戦国大名でした。ところが、1600年の関ヶ原の戦いで徳川家康と戦って敗れ、わずかに周防(すおう)、長門(ながと)の防長二州(現在の山口県)を治める立場へ追いやられてしまいました。
 長州藩は、領土の中央を中国山脈が横切り、平野部も少ないため、農耕にはあまり適さない土地柄です。したがって田畑を耕すこと以外の生計手段も見つけなければなりません。そこで長州藩の人々は共に力を合わせ、知恵の力によって苦難を乗り越える道を選びました。防長の四白(米・塩・紙・蝋)と呼ばれる特産品を生み出し、下関(馬関)の港で金融・倉庫業を発展させるなど、さまざまな産業を興していったのです。
 さらに、「国家を支えるのは人材」との発想から、教育の持つ力にも注目しました。やがて1719年に藩校「明倫館」がつくられ、明倫館を中心とする教育ネットワークが整備されていったのです。
 まず、藩政に参画する幹部クラスの藩士の子弟が明倫館に学び、明倫館で学んだ彼らが領地で「郷校」や私塾を開く。私塾では下級武士や富農・豪商の子どもらが学びます。そして、今度は彼らが寺子屋を開き、近辺の庶民も含めた子どもの教育を担う。こうして幕末には長州藩内だけで1400近い寺子屋が存在したといわれています。
 教育の価値を正しく見つめていた長州藩では、すそ野の広い教育体制をつくり上げていたのです。

何のために学ぶのか

 学ぶことの意味の一つは、自分を見つめ、自己を確立することにあると思います。自らにどのような適性があって、いかにして社会のなかで生きていくのかを真剣に考えさせることです。
 もっと言えば、自分は何のために生きるのかという「志」を立てるために人は学ぶのだと思います。ここで注意が必要なのは、「志」と「目標」は意味合いが異なるという点です。目標は単なる到達点にすぎませんが、志はそこから出発する原点のようなものです。自分が好きなこと得意なことを生かして他者に尽くす。そして社会をよりよく変えていく。そうした個性の開花が志です。
 現代の日本の教育を語るとき、没個性的な暗記重視の詰め込み式教育の弊害ばかりが指摘されますが、昔からそうだったわけではありません。明治時代以降、欧米に追いつき追い越すために生み出されたものにすぎないのです。
 江戸時代の武士の教育では、しっかりと自分の意見を述べることを大切にしました。良書を丁寧に学んだこともその一つです。
 ページの少ない漢籍(漢文で書かれた中国の書籍)を教材とし、はじめは「素読」といってひたすら暗唱を繰り返します。すると意味はわからなくとも語句が自然に口をついて出るようになる。続く「解釈」の時間では、暗唱した一言一句を先生が丁寧に講義する。そして最後に「会読」というグループ討論の時間を持つ。各語句の範囲について先生が割り振りを決め、それぞれの小グループ内で意見交換させるのです。学習中は身分の上下がないので、自由闊達な意見を交わすことができました。
 このように一つの教材をじっくり掘り下げ、真の学問を身につける。他人と議論を交わすことで自分という人間を見つめ、答えを考える力を養う。それがひいては、社会のなかで果たすべき自らの役割を考え、志を立てることにつながる。幕末という激動期に、志士たちが勇気ある生き方を貫くことができたのも、こうした学びの姿勢に徹していたからだと思います。
 私はここに教育の本質的役割があると考えています。

学びを助ける師匠の存在

 真剣に学び、よりよく生きるうえで大切なのが〝師匠〟の存在だと思います。久坂玄瑞や高杉晋作ら志士たちが、新時代をひらく果敢な行動に打って出ることができたのも、師である吉田松陰の薫陶の賜物なのです。
 今の若い人たちにとって、師匠という言葉が大げさであれば、「足を向けて眠れない人」と言ってもいいかもしれません。私は人生の豊かさとは、この「足を向けて眠れない人」を何人持てるかによって決まるのではないかと思っています。
 私にも〝師匠〟と呼べる人がいます。大学生のころ、ある出版社でアルバイトをしていました。当時編集長だったYさんは、まだ社会経験の浅かった私に仕事の段取りを親切に教えてくださり、生活が成り立つくらいのバイト料をきちんと払ってくれました。その後大学を卒業し、たくさんの方々と出会って現在の私があるわけですが、このときのYさんとの出会いがなければ、その後の私の人生は大きく変わってしまったはずです。年月がたてばたつほど感謝の思いで胸が熱くなります。
 師匠とは弟子の全人格を受け止め、長所を伸ばし、成長させてくれる存在です。誰もがなれるものではないし、度量が大きく後進を育てようとの熱意がなければなりません。また、場合によっては弟子の行く末を物心両面で支える経済力も必要でしょう。
 個人主義や成果主義が色濃い現代では、師匠という存在に出会うことはとても難しいのかもしれません。それでも私は師匠を持とうする姿勢を大事にしたいと思います。師匠を持とうと努力するなかに、人格の向上も人生の豊かさもあると信じるからです。

個性を磨く学びを

 現代は若い人にとって生きづらい社会なのかもしれません。自己責任ばかりが語られて社会的包摂の力が弱まる一方、政治はきな臭い方向へ傾き、「子どもたちの愛国心を育てよ」などと声高に主張する時代です。
 しかし、他人に愛国心を強要するような政治も教育も間違っています。愛国心とは、人々の心に自然に芽生える感情であって、誰かから無理に強いられるものではありません。むしろ政治は、国民が国を愛してやまないほどの立派な政治をしてみせるべきでしょう。
 志士たちの偉大な教師であり、彼らと共に行動する学友でもあった吉田松陰は、幕末の動乱期に日本の行く末を憂い、「水陸戦略」という国防政策の建白書を長州藩に提出しています。欧米列強の植民地支配が、中国など東アジアをのみ込もうとする時代に、日本がいかにして独立を守っていくのか。危機意識によって書かれた建白書のなかには、二つの「大事」があるとつづられています。
 一つは「武備」、武器や弾薬などの装備を充実し、士気を高めることです。しかし、それ以上に大切なものがあると松陰は指摘しています。それが「仁政」です。「仁」とは弱い者を慈しみ助けようとする心です。仁による政治こそ、国を支える土台なのです。なぜなら、仁政が行われている国ならば、そこに住む人たちは自然と愛国心を抱き、懸命になって国を守ろうとするからです。
 ともすれば仁政に欠ける現代にあって、若い皆さんが生きていくには、いくつもの課題や困難が横たわっていると思います。しかし、同じく困難な時代を生き抜いた若い志士たちは、自らの志を立て、それを貫き通しました。
 どうか皆さんも学びのなかで、「何がしたいのか。どう生きるのか」を自身に問いかけ、個性を磨いてほしいと思います。その先に、新しい時代がひらかれることを、歴史は教えているように思えてなりません。

<月刊誌『第三文明』2015年10月号より転載>

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いちさか・たろう●1966年、兵庫県生まれ。防府天満宮歴史館顧問。大正大学文学部史学科卒。大学卒業後、「東行記念館」学芸員を務め、同館閉館後から現職。専門は幕末・明治維新期の研究で、維新の志士たちの魅力ある生き方を活写した作風やテレビ・講演などでのわかりやすい語り口にファンも多い。こうした貢献から、95年には「山口県ふるさとづくり功労賞」を受賞している。『高杉晋作 情熱と挑戦の生涯』(角川ソフィア文庫)、『高杉晋作の手紙』(講談社学術文庫)など著作多数。